鬱日記 3月23日

フェイスブックに書こうか悩む内容をここに記してみよう。

 

鬱日記

鬱になって、自分を責め続ける日々が続く。

やっとマシ。もう少し続くでしょうという感じ。

個人的な内容すぎて書くべきか、否か迷ったけど吐き出してきて楽になってきたので自分のために記す事にする。

あと、忘れないために。

 

鬱まっしぐらのどんどん悪くなる時は、自分で自分をコントロールできない状態が続いて、ただ自分を責めることに耐えられなくなってきて、誰かにあたって、

あたったことが情けなくて、また更に自分を責める負のスパイラルに陥る。

 

出来ていたことが段々出来なくなる。

脳が活動を停止する。

これは本当に動物的本能のようなもので、人間って凄い!と思っていた。

あたった皆様ごめんなさい。

 

早く病院に行けばよかったけど、鬱ではないと言われたら耐えられない!

のでなかなかいけない。

行って良い方向へ向くかも分からなくて恐くて行けない。

人が恐くなってしまっていたので行けない。

一回行ったけど休みだったので、それ以降断念した。

 

回復期は更に結構しんどい。

笑いたくて、環境を変えてみたものの

心と違った方向へ進んだので、後々返ってくるものが大きかった。

人恐い状態続く。

笑っていいか、生きてて良いか分からなくなる。

鬱最盛期よりも死について考えるようになる。

嬉しい、楽しい感情が行方不明な状態が続く。

嬉しい、楽しいの感情に出逢うと、その感情があることに安心する。

嬉しい出来事を知れた時に嬉しいと思えて嬉しくなる。

それでも、なかなか回復しない。

 

丁度、母も末期がんでセカンドオピニオンを続けていて

母が生きようとしているのに、娘の私は死ぬ事を考えていて不甲斐ない。

余裕が無さ過ぎて、何もできず、しなかった。

結局、母の病気は治った(かもしれない)。

一連の流れの中で、悲しむ事も喜ぶ事もなかった。

 

2年経って診断していただいて、鬱ときいて安心する。

鬱だ、と思えると狂っている自分は病気のせいと言える。

私、オカシイの。と堂々と風潮できることが嬉しい。

 

鬱の状態の時は、ほんとに非人間だ。

鬱は障害者申請ができる。あー、私障害者なのか・・・と、、困惑した。

 

ここ数日、やっと笑っても良いかと思えるようになってきました。

意識の変化

2020年2月9日

 

夢を見てないですが、浅い眠りの中で思考しているときが増えた気がする。

今日もお風呂に入らなかったので、4日目。

 

頭がかゆい。

でも入ろうと思わない。

 

昨日少し働く先を、隠居する先を考えて滋賀県の求人を検索。

気になる求人があった。

何もしていないので、暇なので働こうかと少し思ったのだ。

働く意味は、お金を稼ぐ事が目的なはずだが

そういう思考が生まれない。

 

今日は雪が降っていたが天気の良い日で少し

ふつうの健常者の思考があったように思う。

面倒という気持ちが少しあった。

 

面倒と思うのが回復というのも不思議。

死にたいと思わなかった。

本当に何で回復するのか分からない。

誰も気にしていないという状況が少しだけ生まれた。

 

みんな何を考えて生きているのでしょうか。

悲しい。

 

ワタシ本当に何がしたいのだろうか。

健常者は何を目的に生きているのでしょうか。

 

まともな思考が出来る様になったらフさんに会おう。

 

洗顔

2020年 2月8日

 

2月6日におっちーと会う。

その後、顔を洗っていない。

この数日、思う事が少し変わってきたかもしれない。

 

妻有のことは本当にもうよい。

松代のことは変わらず好きだし、とても愛した仕事だった。

上郷のことは悲しい出来事。

どうしても自分を許す事はできないのだと思う。

許してあげられるか、1年数ヶ月悩んで悩んで

未だに許せないのだから、もう許せないのだと思う。

 

そう思うと、誰にどう会おうか

関係ない。

隠居するのに必要な事を真剣に考えるのが良いのではないか。

 

隠居生活に必要なモノを考えてみる。

結局20万くらいが妥当に思えて悲しくなる。

15日働いて・・・とう仕事の仕方を考える方が良い気がする。

将来を考えるともうやっぱり無理だと思う.

 

今日はもうまとまらない。これまでの日記もちっともまとまっても居ないけど。

もう無理ですね。やっぱりね。

 

 

コメダのコーヒー

1月29日

 

タバコがない。

荷物を送る為に手紙を書かなくちゃ。

そうだ、タバコかって、コメダのコーヒーを飲みながら手紙を書きながら

本でも読んで、荷物を送る準備をしようと出かける。

 

コメダで、海老カツサンドとたっぷりアメリカンを注文する。

海老カツサンド、美味しかった。

パンの生地とサクサクの海老カツ、夕飯いらないくらいお腹いっぱいです。

コメダのコーヒーは二種類あって、たっぷりとレギュラー、

後ろの席のお客がたっぷりコーヒー2つとたっぷりカフェオレを頼んでいた。

たっぷり〜と言うのか。

なんか可愛い響きが恰もふつうに使われている。不思議。

 

ゲームしたり、本読んだ・・・ないか

手紙書いたりしていると気づくと4時間くらいいた。

コーヒー二杯と海老カツサンドで1800円!

高い・・・と思ったけどそうでもないのかな。

 

荷物の発送に郵便局へ行く。

ひとつ、ゆうパックで送ることにした荷物の品物の欄に書く

内容に注文がついた。「ワレモノ」ではダメだそうだ。

陶器の品をプレゼントとして送るので

内容を細かく記したくなかったのに!ダメだそう。

クロネコヤマトでもダメなのかしら?

いつから細かく書かなくちゃいけなくなっっちゃったのかしら。

 

プレゼントの意味ないじゃん。

悲しいなー

 

まいっか。

 

あっちゃん大学

1月25日土

 

2つ目

 

去年、法円坂の難波の宮史跡でのイベントを思考していく中で

大化の改心ってなんだっけ?

このドラマをイベントに使えると良いなと

あっちゃんのyoutube大学に出逢う。

 

薄っぺらーく蟒蛇をサラーっと説明してくれる

あっちゃんの説明は、歴史に興味を持つきっかけに

丁度よく、それなりに面白がって映像を見ていた。

 

最近になって、その番組が間違いだらけだと世間で噂になっている。

その道の専門家が訂正ツイッターをあげると

あっちゃんファンがその専門家たちを擁護攻撃しているらしい。

 

あっちゃんエクストリームの趣旨としては

興味を持って頂くこと、そのうえで議論などあると良い

などがあって、どれも問題ではないのだけど

擁護するファンに対して、あっちゃんから

そのようなコメントをする必要はないとメッセージを送られると良いと思う。

涙 愛しい日

1月25日(土)

 

1月21日の火曜日に東京で意中の人に会う。

すっきりするか?と思っていったものの

そうでもない。多分以前にmailで回答を聞いてしまっていたので

実はもう、用はなかったのかもしれない。

 

では、なぜ会いにいったのだろうか。

自分の中のヤらしい部分が、

ワタシの大変さを思い知れと思っていた気がするのと

やっぱり、いいやと言えなかった気がする。

 

帰りがけに、帰ってから多分落ち込むことはないと

伝えておきながら昨日24日の金曜に泣いた。

 

まだに悲しみの中にいるようです。

いつになったら無くなるのかしら

あぁ無理なのだろうな。きっと一生後悔するんだろうな。

仕方が無い。

泣きながら、何通かラインを送る。

 

ほったらかしにしていた約束と

ご飯をだれかに食べてほしい欲から

ご迷惑をおかけしている方へ。

 

1人は返答あり。

3人は返答なし。

 

鬱の時、佐野洋子が友達を無くしたといっていた。

なので返答がなくてもワタシは気にしない。

 

鬱という言い訳をもてるのは、本当に楽だ。

なんで早く病院にいかなかったのか。

いや、見栄をはっていけなかったのである。

 

自分の醜い部分を見つめる作業は、いつまで続くのか。

 

生きたいか、死にたいか分からない。

生きる事に希望がないとやっぱり明日死んでもいいかと

思えてくる。

ここが正常なひとと少し違うんだろうな。

 

2年前の鬱の状態を思い返す。

ちっとも頭が動かなくなってしまっていた。

あれって本能なきがする。

 

お話すること

火曜日にお話することを書きましょう。

 

今日お話することで、傷つくことは仕方がないです。

それでも、向き合わないことには

ワタシは前に進めないのではないかと思って

話することで、救われることもきっとあるので

たぶん。

 

存在をしていいかが分からない。

笑っていいのか分からない。

信用してもらえないところに

自殺したかもしれない。

でもいま、生きたいと思えない。

お金がほしいとも、その先にある目的もない

 

むり